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【国文学科3】教員コラム「源氏物語は紫式部が書いたと、なぜ言えるのか⁉」

国文学科
 国文学科教員の池田です。
 2024年の大河ドラマが「紫式部」を主人公に据えることが発表されましたね。
 そこで、少し「紫式部」と「源氏物語」に関する小話をしたいと思います。

 みなさんは、「源氏物語は紫式部が書いた」と思いますか。確かに、高校までの授業や教科書などには、「源氏物語の作者は紫式部」だと書いてあったかもしれませんが、確定はできません。なぜなら、物語に「作者名」がないからです(因みに、書物に作者名を記すように正式になったのは、享保7年【1722】の大岡越前守が出した触書からで、それ以前は作者名を記しても記さなくても問題はありませんでした)。
 「源氏物語の作者=紫式部」と言われるようになったのは、式部が記した日記に次のような記述があるからです。

・「あなかしこ。このわたりに若紫やさぶらふ」(失礼します。このあたりに若紫はいらっしゃるかな)
・「源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむ」(光源氏に似ているような人もいらっしゃらないのに、ましてあの紫の上なんかいらっしゃるでしょうか)

*若紫・・・源氏物語の若紫巻に8歳で登場し、御法巻の43歳で亡くなるまで光源氏の最愛の女性として語られるヒロイン。
*源氏・・・源氏物語の主人公、光源氏のこと。
*上・・・・源氏物語のヒロイン、紫の上のこと。20歳以降の呼び名。

   

2000円札に使用された場面です。藤原道長邸での宴席で酩酊した藤原公任が、紫式部をからかって「若紫」と呼びかけ、式部が「光源氏」が実在しないのに「紫の上」は、まして存在しないと憤りを露わにしています。この記述からは、源氏物語の作者として紫式部を公任がからかったと「読む」ことができます。また別の記事には、源氏物語を製本していると思われる記述や、歌集に「源氏の物語」への言及があり、「紫式部が書いた日記に、源氏物語の作者だと匂わせる記述が散見する」ということから、「源氏物語の作者=紫式部」と言われるようになりました。但し、本人が書いていることなので、信憑性はいかに!ということにもなりますね。
源氏物語が流布してから、20年後に源氏物語を手にした菅原孝標女は更級日記に、源氏物語のことを「紫の物語」「紫のゆかりの物語」などと記しています。1000年前は、「源氏物語」ではなく「源氏の物語」「紫の物語」と呼ばれていたのでしょうか。

 


 おっと、5月15日が間近になりましたが、この日は源氏物語にも描かれる「葵祭」(賀茂祭)の日!これは、1000年前から行われ現代まで続く伝統行事ですが、今年は露頭の儀(神輿の行列)は実施せず、神事のみ上賀茂神社、下鴨神社で行われるそうです。

 


 これを機に、源氏物語や紫式部日記、紫式部集に目を向けてみてはどうでしょうか。


*本学での源氏物語講座に興味を持たれた方は、下記のURLより動画をご視聴いただけます。また、秋に湖国カルチャーセンターでの公開講座を予定しています。

・【動画】「感じる『源氏物語』の世界」
 https://youtu.be/zucYjOglK1U

・【講座】「光源氏"最後の恋と愛"の物語」
 https://dl2.dl.multidevice-disc.com/dl/42051-6e9f88bc2d336e955c2a12a033210c24