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【国文学科16】ゼミフィールドワーク ~池田ゼミ(源氏物語)~

国文学科
池田ゼミでは、『源氏物語』を研究発表しながら考察を深めています。今年度は、第1帖「桐壺」(光源氏0歳)から第19帖「薄雲」(光源氏32歳)までを扱い、1年の締めくくりとして、京都へ文学散歩という名の聖地巡礼に行ってきました。

約1000年前のフィクションとはいえ、実際の京都を舞台としているので、光源氏が女性たちと出逢った場所や、紫式部が住んでいたであろう場所を巡り、時空を超え平安時代に思いを馳せるのは愉しいひと時でした。
目的は、①逢坂の関&蝉丸神社②廬山寺&梨木神社③賀茂御祖神社④大将軍八神社の5か所。
①逢坂の関は、光源氏29歳(第16帖「関屋」)のとき、12年ぶりに空蝉という女性と再会を果たす滋賀県と京都府の境の関所です。現在は、2件のうなぎ屋で賑わっていますが、関跡は旧東海道にひっそりとあります。


②廬山寺&梨木神社は、紫式部の曽祖父、藤原兼輔の邸宅跡とされています。兼輔が詠んだ「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道に惑ひぬるかな」(『拾遺和歌集』)は、『源氏物語』中、最も引歌(ひきうた、和歌の一部を文章に取り込んで和歌1首の雰囲気を読ませる修辞法)として使用されています。

 

③賀茂御祖神社は、通称、下鴨神社と呼ばれ、光源氏26歳(第12帖「須磨」)のとき、都去る際に「うき世をば今ぞ別るるとどまらむ 名をばただすの神にまかせて」と神社の表参道にあたる「糺(ただす)の森」に謀反の意思があるとする光源氏の汚名「名を正す」ことを願って歌を詠んだ場所です。



④大将軍八神社は、「方違へ」とも関わる星神を祀る神社で、神職の方に宝物館を開館していただき、星にまつわる話を聞きました。

 源氏物語づくしの1日でしたが、京都にはまだまだ「ゆかりの地」があります。1年かけて深めた知識が、実見することで、確かな認識へと繋がったのではないでしょうか。
 参加したゼミ生と有志の学生さんは、1日お疲れさまでした。