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【国文学科7】七夕のはなし

国文学科
こんにちは。国文学科教員の池田です。
今年も七夕の季節となりました。みなさんは、もう願い事はされましたか? 

    

学内では、子ども学科1年の授業「幼児と造形表現」で制作された七夕飾りが目を楽しませてくれています。



七夕は、天の川で隔てられた織姫(織女)と彦星(牽牛)が、年に一度逢うことを許されるという伝説が有名ですが、みなさんは「逢いに行くのは、どちら」だか分かりますか。
実は、男性が川を渡る、女性が川を渡る、どちらもあります。中国では、「女性が橋を渡る」、日本では「男性が橋を渡る」というのが一般的な七夕伝説です。
この伝説は、中国では漢代に存在した牽牛と織女の二星会合の伝説が伝来し、日本の機織りする女性を祀る行事(織女祭)と融合して、現在の形となったと言われています。
『日本書紀』には「タナ(棚)の上でハタ(機)を女性が織っている」記述があり、水神への捧げものとしての棚機津女(タナバタツメ)伝説が、日本の七夕伝説の起源だと民俗学者・折口信夫は指摘しています。



奈良時代に成立した『万葉集』は、万葉仮名という漢字ですべて書かれていますが、七夕に関わる和歌が898首(1196~2093番歌)も並んでいて、奈良時代にも特別な日として、多く和歌が詠まれていたことが分かります。
また、「ひととせに七夕のみ逢う人の恋も過ぎねば夜はふけゆくも」(2032番歌)の「七夕」は「なぬかのよ」(七日の夜)と訓み、「棚機」(たなばた)、「織女」(たなばたつめ)と訓むなど、
あくまで「七夕」は「七日の夕方」のことを意味していました。
その後の平安時代に成立した『古今和歌集』は、仮名で書かれていますが、例えば「契りけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたびあふはあうかは」(178番歌)と、「七夕」(なぬかのよ)を既に「たなばた」と同一視していたことが分かります。
「七夕」=「たなばた」は、平安時代に定着したのですね。



こちらは、特別出演乙姫さまと浦島太郎さん。子ども学科の学生が撮影に協力してくれました。



日本人に古くから親しまれている七夕の話、漢字の読み方、文学作品など、少し興味を持っていただけたでしょうか。
最後に、日本オリジナルの七夕伝説として、室町時代に成立した『御伽草子』(おとぎぞうし)という作品に収められている「天稚彦草子」(あめわかひこぞうし)という話もあるので、
是非、図書館などで手に取ってみて、日本の恋物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。