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文教SMILEブログ

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【古典の日】「もの思ひにあくがるなる魂」と「恋」

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 国文学科教員の池田です。
 みなさんは、11月1日が「古典の日」だということをご存じでしょうか。
 「古典の日」は、源氏物語千年紀の2008年に京都を中心として、8人の有識者、文化人による呼びかけがなされ、2012年には「古典の日に関する法律」が公布・施行されました。

 例年のこの時期、本学では大学祭(翠湖蔡)を開催し、池田ゼミでは「古典」に関する展示を行ってきましたが、今年は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、中止となりました。そこで、今回は日本を代表する「古典」作品の一節をご紹介をしたいと思います。



 「袖濡るる こひぢとかつは 知りながら 下り立つ田子の みづからぞうき」(『源氏物語』葵巻)

 源氏物語中の名歌とされる六条御息所の和歌です。
 「こひぢ」は「泥/恋路」の掛詞であり、結句「みずからぞうき」に収斂していく表現です。「泥のような絶望的な恋路に、自ら踏み入れて抜け出せない自分の憂鬱」な心情を、悲痛な恋として光源氏に打ち明けたものです。31文字すべての言葉が、彼女の悲痛な心の叫びの表現として絶妙に絡み合い1首を構成しているのです。
 恋の贈答歌においては、男性から女性に和歌を贈るのが常套であり、ここでは異例の女性からの贈歌となっています。しかも、かつて皇太子の妻であった高貴な彼女の恋心と矜持は、光源氏を目の前に、「田子(=農夫)」が「こひぢ(=泥)」に「下り立つ」と卑賎の者に自らを喩えるように「こひぢ」の中に、どっぷりとはまってしまったのです。



 こうして、自らの意思で制御できなくなった彼女の魂は身体から抜け出し「もののけ」となり、光源氏の正妻、葵の上に取り付き、結果として取り殺すのでした。このときの彼女は「もの思ひにあくがるなる魂」というものを意識しています。
 古代には、「もの思ひ」が強すぎると「魂」が「あくがる」という遊離魂思想がありました。京都北山の貴船神社で和泉式部が詠み、『後拾遺和歌集』に入集(にっしゅう)した「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る」は有名ですね。
 「恋」は「孤悲」とも『万葉集』では表現されるように、ひとり悲しい思いゆえに、魂の一部が抜け出し、本人の強い興味の方へと向かっていくのです。そして、その抜け出した魂は、思いの相手と逢うことで取り戻すことができるのです。「恋」と「あくがる」は関係が深いと言えるでしょう。
 強い思いは、相手のところへと飛んでいくという考えは、現代にも通じるところがあるのではないでしょうか。



 さて、この物語は『源氏物語』の葵(あふひ)の巻という巻で語られるお話です。一刻も早くこの危機的状況が収束し、みなさまと「会う日」を楽しみにしております。

〈掲載写真〉
『絵入源氏物語』「葵」教員架蔵